夢で会えるなら。。

娘が自ら向こうの世界に行ってしまいました。どうしても受け入れられません。。

娘を亡くして時間が止まってしまいました。眠れず、薬に頼っていた娘の自死を受け入れられません。お願い、会いたいよ。

年が変わる寂しさ…

2017年…最後の日。

娘が居た年が終わる。

それだけでも寂しさが押し寄せてくる。


2018年をあの子は知らない。。


本当なんだろうか。

現実なんだろうか。

長い長い夢じゃないかな…。

本気でそんな事を思う。


最近の私は前にも増して涙が増えた気がする。。。

トイレに行って1人になれば涙。

洗面所に行って1人になれば涙。

娘の部屋に孫の洋服を掛けに行けば涙。

ゴミ捨てに行けば涙。

1人になるタイミングを待つかのように涙が溢れてくる。


親しい友達も心配してくれて…「4ヶ月半しか経ってないから当たり前だよ…」と慰めてくれる。

でも時間薬は、なかなか効かなさそう。


私の少し先を行く方達も、今の私と変わりなく心の中に常に愛しい我が子が居て…

カラ元気で、外の人に対応して頑張っている。。。。



きっと私がお婆さんになる頃までには、なんとか薄皮を少しづつ剥がすように悲しみも和らぐのだろうけど…

愛しくて会いたい気持ちは薄れる事はない。


そして、次女と孫の成長見届けた頃、やっと会えるんだろうな。

あー、待ち遠しいよ。。。

悪気のない他人の言葉…

この前、近くのショッピングモールの遊具で孫を遊ばせていたら、やたら話しかけてくるおばさんが居て、話の流れで私はバァバです。って言うと、ママは?仕事?と、質問攻めに合いました。


ただのお喋り好きなおばさんなので、悪気がないのは分かるけど…。


孫に色々質問して…孫がお空を指差して「お空でネンネしちょんのよ。死んじゃったから」って答えました。


私にも何で亡くなったのかとか、急だったのかとか、何才かとか、色々聞いてきて…

簡単にあしらってたんだけど、最後に


「あなた、立派だわぁ~、私なら立ち上がれないもの」


と言われました。


泣きながら遊具で遊ばせられないでしょ…

涙を堪えて生活していても、立ち直れてるように見えるんだな…と。

私なら無理だわ〜って…私だって気が狂いそうです。。。


目の前で遊ぶその方のお孫さんのママは2人目出産で入院中って。

幸せなお話を沢山していました。



もうあの方とは出来ればお会いしたくない。。。

百か日法要

今日は娘の百か日法要で、お坊さんにお経をあげてもらった。


今日で百日。


もう百日。


百日も娘に会っていない…話してもない…もちろん触れてもいない。

とても寂しく、悲しい…


でも百か日法要を検索すると


「百か日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、この百か日法要をもって、残された遺族は「哭(な)くことから卒(しゅっ)する(=終わる)」、つまり、悲しみに泣きくれることをやめる日であることも意味する。」


って書いてある。。。。



無理だけど、

お坊さんはそれを優しく説明してくれた。

少しだけ前を向いて追善することが、娘の供養になると…。




娘の命の重さ、大切さを私自身がしっかりと受け止めて、同じ苦しみを抱えた人の為に何か出来ないか…


それが、娘を心に抱いて生きていく事だと分かっているけど、何をしたらいいのか見つかるのはまだまだ先の事になりそう。




娘の男友達が先月、悲しい事に自死で命を絶ってしまった。。。


とても優しい友達だった。

娘が亡くなった時も飛行機で遠方から飛んで帰って来てくれた。


私はお通夜に行き、棺の中のその子にお礼を言った。

「この前はありがとうね。ありがとう。。向こうで娘と仲良くしてね。」と。


お通夜の空気が娘の時の事と重なり、とても苦しかった。


私はその子のお母さんとは面識がなかったけど、凄く気になって…

昨日がその子の初めての月命日だったので、なんとか声をかけられないかと、娘の友達づてで連絡先を教えてもらった。


今日、メールをすると、

「実感がないのに、1人になると〇君の事ばかり考えて、涙が溢れてくる」と。。。

私達と同じ思いをする人が身近に増えてしまって…

なんともいえない気持ちになった。


少しでも支えあえたら…



百日経ってもこんなに辛い…

一年経っても、二年経っても…

きっとこのまま。



卒哭は子を亡くした親には無理だよね。。。